- 2.CHANELの歴史 -
エレガントで
大人の女性の代名詞とされるシャネルスタイル。
ツウィードスーツに
アクセサリー、
バックに
靴、
ゴージャスで
エレガント。
見え隠れする少女の様なキュートなシャネルファッションは今なお世界中の憧れの的です。
そのファッションが最もよく似合うと言われたのがデザイナー、
ガブリエル・ココ・シャネル自身です。
20世紀最大のデザイナーと称された彼女の生涯は、神秘のベールに包まれ、幾つもの伝説が作られました。
その生涯を閉じた時ココ・シャネルは87歳。彼女を知る人すら驚いたと言う。
シャネルの歴史は古く1910年に
カンボン通りに初めてのお店「シャネル.モード」帽子店から始まります「シャネルブティック」のスタートです。
今年2004`春に
カンボンラインのCute(ピンク、ベージュ、ホワイト、ブラック)なバックが発表されましたネ、このカンボン通りから取ったようです。
ココ.シャネル(本名ガブリエル.ココ.シャネル)の生い立ちは今のシャネルのイメージ(優雅で気高く裕福)のものとは想像もつきません。
1883年8月19日生まれ。
南西部オーヴェルニュ地方の行商人の娘として生まれ、12歳で母親を亡くし修道院つきの孤児院に預けられます。
質素で厳格な孤児院暮らしがココに華やかな都会、優雅で時代の最先端なモード界への憧れ、強く魅かれていく事は想像できます。
幼い頃より
オーベルニュやムーランの田舎の生活よりモードの中心地パリに強く憧れ、パリへ行きたい気持ちを抱きながらお針子をしておりました。
ムーランのカフェでエチエンヌ(パトロン)と出会い憧れの地
パリへ移ります。
そこで裕福な生活を手に入れ、その後エチエンヌの友人アーサー.カペルと恋に落ちます。
2人はココを社交会へと連れて歩きココは徐々に社交会のスタイル、ファッションを身に着けていきます。
1910年パリ.カンボン通り21番の帽子店(現シャネル.パリ.本店)はこの2人による出資でオープンしたと伝えられております。
ココがデザインする独特なスタイルのお帽子は瞬く間に話題を呼び華々しいデビューを収めます。
帽子だけではなくコルセットから女性の体を開放しシルエットと縫製を重視し無駄な装飾や束縛を外し活動する女性のファッションを打ち出します。
下着素材として使われていたジャージ素材を使ったスーツ。喪服でしか使われなかった黒のドレス。
又、長い髪を機能的なショートにし、スカート丈は動きやすく最も美しく見せる膝下丈を提案。スーツにポケットを付け、少年の様に手を突っ込んで歩くスタイルを流行させる等、
次々に斬新なアイデアを生み出しシャネルモード、
シャネルブティックへと成長して行きます。
(
※素晴らしい出会いです。シンデレラストーリーですネ。2人の男性も見る目がある!のですネ…素敵です)
1921年には、
オードゥ.パルファム No5を発表いたします。
調香した実験ボトルが並ぶ中でココが手に取った5番目のサンプルの香りから誕生されたと伝えられております。
(
※亡き有名ハリウッド女優
マリリン.モンローが「夜、寝る時はNo5だけ」と名言を残しております)
No5の原料であるアルデヒドは香水に使われた始めての化学物質でNo5のセクシャルな深い香りを生み出す素となっております。
モンローのイメージにピッタリな香りに魅了された男性も多いはずです。
この時、同時に
No22も発表されました。やはり22番目のサンプルボトルだったのでしょう。(確か、No22番は日本未入荷ですよネ)
お話を戻しますが、その後アーサーとは破局を向かえます。(彼はその後、車の事故により帰らぬ人となります)魅力溢れるココは次にロシアの亡命貴族ディミトリ.パウロヴィッチと出会います。
彼との出会いによりバロック様式、ビサンチン様式の宝石に魅了され
コスチュームジュエリーを生み出して行きます。
1924年には大胆に
イミテーション、
人造宝石を使ったアクセサリーを発表します。
当時のココは
「アクセサリーは沢山必要。でも本物を沢山見せるのは、見せびらかしている様で趣味が悪い。私の創るアクセサリーは本物より美しい偽物」と語っております。
この頃のアクセサリーには真珠とチェーンを何重に垂らしたネックレスやルパシカ、スラブ刺繍などロシアンテイストの物が多く発表されております(現シャネル,アクセサリー)です。
1926年にはイギリス貴族のウエストミンスター公と出会います。
洗練された英国様式のスーツに強く影響を受け紳士スーツでしか使われなかったツウィード素材を女性用にとエレガンスなスーツに仕上げます。
1928年、
シャネルスーツの誕生です。(現在でもシャネルはツウィード素材を毎年、毎シーズン発表しております。
シャネル=ツウィードです。)
この頃ウエストミンスター公は結婚を考えておりましたが、ココがシャネルブランドと言う名の仕事を選んだ為に破局を迎えます。
(この時ココは40代です。仕事も恋も充実している年齢。私の勝手な推測ですが、ココは仕事と恋の選択に凄く悩んだ事と思います。きっと彼は愛し過ぎたゆえに答えを急いだのでしょう。)
ヨット好きの彼との交際中にココはツウィードスーツの他に
マリンスタイルや水夫のかぶるベレー帽を工夫し帽子に宝石を付け発表します。
当時の上流社会を驚かせたと伝えられております。1932年本物の
ダイヤモンドを使用した
ハイジュエリーを発表します。
ココ.の恋のお話は続きます。その後、画家のポール.イリバヌガレーと出会いますが、彼の心臓発作により亡くなり悲しい死別をしてしまいます。
1920〜1930年代は女性達が活動的(現代と少し似ていますネ)になり女性の支持を得ます。
ココ.シャネルはクチュール界の不動の地位と
ファッション界の女王となります。
1939年、第二次世界大戦が近づく頃ココはお店を閉店し自らクチュール界を引退します。戦中の数年間スイスに亡命していたと伝えられております。
戦後パリへ戻って来たココ.シャネルはディオールのニュールックを女性の解放とは違っていると感じ、
1953年
不滅の存在、又不滅のブランドである事を世界に知らしめる為に突然クチュール界へカムバックを決意します。
以前のココの助手達に「今すぐ来るように、私たちは、後10年しか働けないのだから」と電報を打ちます。
この時ココの年齢は70歳。ホテル.リッツのスイートを自宅代わりに復活コレクションを考えていたと思います。
1954年シャネルブランド復活です。20年前と同じ様にブラックをメインに
テーラードスーツコレクションを発表します。
ファッションジャーナリスト達の不評を買いましたが1956年、アメリカ女性達の支持を得ました。
この時、シャンネルは「
私が造るファッションは、女性が着て、生き、呼吸をし、快適と感じる事ができ、若々しく見えるものです」と語っております。
アメリカの女性は実用的な洋服を求めていたのでしょう。
1971年1月10日、スイスに亡命していた時期を除き晩年自宅としていたホテル.リッツ、スイートで静かに息を引き取ります。
ココ.シャネルが亡くなる前、友人に「
私が本当に愛したのは、2人だけ…」と語っておりますが、2人とは誰なのでしょう?ここに登場していない男性かもしれませんね。
息を引き取る時まで恋をしていたのかもしれません。
愛する人を糧として生きながらも生涯独身で終えたマドモアゼル.ココ.シャネルですが、決して愛の無い人生を歩んだ訳ではありません。
沢山の友人や恋人に囲まれながら創り出したコレクションの数々はその思いと共に永遠に世界中の女性達に息づいて行く事とでしょう。
ココ.シャネルの
自宅であったホテル.リッツ.スイートはその時代のままに残されております。
19世紀の終わりに生まれ
20世紀の偉大なデザイナー、マドモアゼル.ココ.シャネルを実感できます。
ホテル.リッツは今でも人気で予約を取る事は至難の業の様です。
ホテル.リッツ向えにあるカンボン通り
シャネル本店3階にあるココ.シャネルの
アトリエ、シャネルの全てがここから生まれた場所です。室内は現在もそのままに残されております。
ため息がでる程の空間と調度品、中国の歴史深い屏風、ゆったりとした大きなバックスキンのソファー、18世紀に作られた大きな鏡、
クリスタルの輝きを最大限にだしたシャンデリヤ、ブロンズ製[亀][鹿]のオブジェ、など所狭し配置されております。
アクセサリーや数々のコレクションに登場しデザインのヒントが生まれたこのアトリエにはココが1つ1つ意味のあるデザインを生み出してきた全てがたくさん残されております。
ココ.シャネルのお墓には
5つの獅子の頭が刻まれております。これはココが
獅子座に生まれ[誇り高いマドモアゼルの生涯を象徴]としたものなのでしょう。
シャネルジュエリーのモチーフに獅子が使われております。昨年2003年にライトストーンが散りばめられた獅子のブローチが登場しております。
誇り高きマドモアゼル.ココ.シャネルは
永遠に世界中の女性達を虜にし続けます。